コミュニティは地縁集団としての用法と、地域社会としての用法がある。地域社会として用いられる場合、エリアの問題としてのアプローチ・近隣の問題としてのアプローチがある。 このような意味における日本におけるコミュニティの典型例として、町内会・自治会というものが挙げられる。 これらは農業コミュニティや中心商店街コミュニティにその基礎をおいており、農業や中心商店街の衰退により、地域活動そのものも衰退してきている。また、マンション化が進み自治会に加入しないケースが増加。施設管理のみを行う管理組合はコミュニティとしての機能を有さず、町内会自治会加入住民との利害対立構造をもたらすケースが相次いだ。 市民活動 退職後の"関心ある個人"が増加。NPO参加やボランティア活動、果てはクレーマーまで、社会に対し退職後に積極的に関わる個人が増加している。 地縁団体が反対運動や苦情提出を行うのではなく、自ら課題解決に取り組む、課題別市民活動が広がりを見せている。特に防犯活動や公園管理など、課題対策型の地縁団体が、その活動範囲を広げるケースが見受けられる。 草の根民活(くさのねみんかつ)とは、一般的に使用される民活(みんかつ)が企業を中核とした民間活力を意味するのに対して、個人経営体(農家や自営業者など)、市民、地域住民、NPO・NGOなど民間人(個人やその小規模集団)の活力を評価する用語である。 中国雲南省の粘土による瓦の生産。労働集約的技術によって、現地の資源を有効活用している。経済主体は、消費者・家計、生産者・企業とに区分されるから、経済学的に言えば、草の根民活は、農家、自営業従事者など小規模生産者(サービス業を含む)と家計・生業レベルで現地の身近な資源とローカル・コモンズを利用する住民(生活者)が、その範疇に含まれる。かれらは、貧困者、社会的弱者のように見えても、次のような特徴がある。 地域に居住し、働くという職住接近である。 地域の資源・労働・経営・人間関係などの情報に精通している。 相互に情報を共有している。(情報の対称性) 現地の適正技術(労働集約的なワザや伝統的技術)を保有している。 このような場合、現地の小規模生産者、家計・生業レベルで現地の資源を利用する住民は、高い技能と情報力を持ち、彼らの間には、コミュニケーション能力、結束力、信頼関係に裏打ちされた地域コミュニティが形成されているともいえる。 中国広西省の機織り。90歳の老人が綿布を織り、販売し収入を得ている。予備校 を保有していれば、地域社会の担い手ともなれる。他方、福祉国家論にあって、老人を、年金受給者、退職者、要介護者とみれば、支援・介護の対象でしかなく高齢社会を問題視するしかない。しかし、老人は、昼間人口として、地域に居住し、地域コミュニティの中で、コミュニケーションを図りながら、伝統文化を保持、伝承する役割を担っているかもしれない。育児や子供の教育を含む子育てに協力している場合もある。換言すれば、老人を草の根民活として認識すれば、高齢社会を問題視する発想は修正を迫られる。 また、開発経済学にあっても、女子、農家、都市インフォーマル部門の従事者は、貧困者あるいは社会的弱者として、位置づけられ、政府開発援助やNGOによる援助の対象とされる。しかし、スラムの住民は、貧困状態にあっても、廃品回収・再生資源の利用など、廃棄物の民間リサイクルを担っている場合もある。スラムを貧困の象徴として、厄介者扱いする議論も、先進工業国からみた一方的な見方なのかもしれない。事務所・工場従業員など正規の雇用機会に乏しく、インフラが未整備な状況では、貧困者は零細な自営業を生業とするしかなく、それは自助努力の必要な、労苦を伴う仕事である。 タイ東北地方の牧畜。道路や農地脇の草は、水牛に食ませるローカル・コモンズである。住民は、現地の資源の利用に長けている。開発途上国の農村,山村では、住民は、薪炭などバイオマスを身近な燃料としているが、このようなバイオマスエネルギーは、森林・入会地・里山というローカル・コモンズとして、再生可能エネルギーとなっている。換言すれば、地域コミュニティの住民が、持続可能な資源の利用・管理を行っているのである。 したがって、現地住民、個人経営体を、貧困者、社会的弱者として、一方的に支援・援助・介護の対象とみなすのではなく、草の根民活として、社会開発や地域コミュニティの担い手、あるいはローカル・コモンズの管理を通じた環境保全の担い手とすることも可能である。草の根民活を、開発の担い手として位置づける草の根民活論は、特に、開発経済学や環境経済学の枠組みの中で、市民・住民あるいはNGO・NPOが参加する持続可能な開発を目指す場合、有益な示唆を与えてくれる。 企業(きぎょう、business, enterprize, firm, company)とは、営利を目的として一定の計画に従って経済活動を行う経済主体(経済単位)である。家計、政府と並ぶ経済主体の一つ。国や地方公共団体が保有する企業を公企業、そうでない企業をおせち という。通常は企業といえば私企業を指す。日常用語としての「企業」は多くの場合、会社と同義だが、個人商店も企業に含まれるので、企業のほうが広い概念である。 広義の企業は、営利目的に限らず、一定の計画に従い継続的意図を持って経済活動を行う独立の経済主体(経済単位)を指す。 ミクロ経済学では、企業を利潤(収入と費用の差。純利益とも)を最大化する経済主体として扱う。生産要素を購入(需要)し、生産物を販売(供給)する。 マクロ経済学では、民間投資(特に設備投資)の担い手として扱われる。投資財を購入・投資して生産力の増大(総供給)と乗数効果による総需要増大をもたらす。 企業によりその部署と社員の構成は異なるが、部署について概ね一般的と言えるのが、代表取締役会長若しくは社長を中心とした取締役などの役員により構成された取締役会を頂点とし、総務部、人事部、営業部、開発部、その他の事業部などの部署を置くのが通常多くみられる例である。 社員の職位については、主に役員・重役の職とされる会長、社長、副社長、専務、常務、その他の取締役(部長と兼務の場合も多い)、支社長や部長、次長、課長または班長、係長などの管理職、主任及び課員などの社員により構成されるのが一般的といえる。 職種は、大きく総合職と一般職と分けられる例が多いが、近年は技術職など様々な職種をとる他、正社員の他に契約社員、派遣社員、アルバイト・パートタイマーなどの労働形態の相違も多く見受けられる。 さらに、就職活動前または就職活動中の学生を対象に採用するインターンも企業において労働しているケースがある。 経営学とは「社会システムを中心とする環境のなかで企業がいかに運営されているか」を解明する塗装工事 である。その対象は、今日において企業はわれわれにとってきわめて重要な存在であり、また、こうした企業についての経営学は基本的なものとして、その他の諸組織に容易に応用出来るので、経営学の対象は企業に限定される。広くは、企業だけでなく、官庁組織、学校その他一般に組織といわれるものすべてを含むと考えられる。 企業を対象とする領域学 経営学とは、「企業」という特定の領域を対象とする領域学のことである。「領域学」とは、経済学・社会学・心理学などのように、特定の限られた変数群と一定の理論的枠組みとを用いて、対象世界に接近する「ディシプリン」の学問ではなく、教育学や宗教学と同じように、変数群や理論的枠組みを特定化するのではなく、むしろ対象世界を特定化して、それに対して多面的に接近する学問であることをいう。その領域学としての経営学の対象は、企業である。企業は形式的には生産の担い手であるといわれるが、生産という言葉のなかには、財・サービスをつくるという意味はもとより、新しい知識を生み出す(イノベーション:革新)という意味もまた含まれる。