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経済学では、各主体(個人・企業、およびそのほかの組織体)の行動が市場原理にゆだねられた場合の帰結(均衡)と、そこでの資源配分の効率性や社会的総余剰の適切さについて分析したり、社会システムの構造を物象化の機序を明らかにしつつそこに生起する論理と動態を明らかにすることに重点が置かれる。それに対し、経営学は、いかにすれば企業(およびそのほかの組織体)がその業績や効率性を向上させることが出来るかを明らかにしようとする(Caves, 1984年)。つまり、社会全体を見るか、一組織を見るかの違いである。最古典としてはフレデリック・テイラーの科学的管理法がその一つと考えられる。 また、同じ「企業」を観察する場合でも、経済学では各企業が合理的な行動をとった場合にどのような状態が現出するかを考察することが多く、経営学では企業がどのような行動をとることが合理的かを考察する、などの違いがある(高崎、1986)。 以上のような学問的出発点の違いから、経営学では個々の企業間の差異が注目されるのに対し、(特に新古典派の)経済学ではその差異にはあまり注意が払われない場合が多い(Nelson, 1994)。 ただし、1980年代以降、経営学分野で経済学理論を基礎とした領域が発達したり(マイケル・ポーター、伊丹敬之が有名)、経済学でも企業・組織のメカニズムや効率性を分析する領域(企業経済学・組織の経済学など)が発達していることから、両者の違いは以前ほど明確ではなくなってきている(事実、アメリカのビジネススクールには経営学者と経済学者が混在している)。 とは言え、経営学は「領域」の学問と言われるように、社会学的手法を用いた分野(マーケティングなど)や、社会心理学的手法を用いた分野(労務管理論など)など手法横断的・学際的な発展をしており、数学を用いた社会分析に特化し続けている(「ディシプリン」としての学問)経済学とは一線を画している。最近の経営学者・経済学者には、この点を両者の相違としている者も多い。 経営戦略論(けいえいせんりゃくろん;strategic management, competitive strategy)とは「いかに競争に成功するか、ということに関して一企業が持つ理論」である経営戦略(以下「戦略」と呼ぶ)に関する研究を行う学問分野である。 かつては現役を退いた経営者がFX で授業を行い、そのなかで彼らの経験則を議論したり、経営の各機能(研究開発、オペレーション・マネジメント、マーケティング、会計などの機能分野)にそれらの経験則を応用してみたりといったものであったが、今日ではほとんどのビジネススクールの教員は経営学か関連分野での博士号を持ち、授業では学術的研究に裏打ちされたさまざまなモデル、概念、理論を議論したり現実のケースに適用したりする内容になっている。このことは、経営の人間的要素が授業から失われてしまった側面でもあり、これに対処するため、ビジネススクールでは「ケース」を用いる教育手法により、理論モデルを現実の世界で用いる場合に対処しなくてはならない社会的複雑性を擬似的に体験することで克服しようとしている。 経営戦略論は、経営関連諸学の進化プロセスにおいてもっとも未開拓であり、もっとも未熟な領域の1つである。財務(Finance)と組織行動学(Organizational Behavior)は1950年代までに厳格な学術領域として地位を固めつつあったし、マーケティング、会計、オペレーション・マネジメントの分野も1960年代までには同様の地位に達していた。 経営戦略論が学問として未熟な状態から現代の学術理論ベースの分野へと大きく進化した象徴的な出来事は、マイケル・ポーターのCompetitive Strategy (1980) (邦訳『競争の戦略』)と、リチャード・ルメルトのStrategy, Structure, and Economic Performance (1974) (戦略、企業構造、そして経済的パフォーマンス)の発表である。 Juraという語で同じような内容を指すこともあるが(「Jurastudenten」「ich studiere Jura」等)、本来これはラテン語の「ius」(法)の複数形である。複数形であるのは、俗界の法(特にローマ法)と聖界の法(カノン法あるいは教会法)の両方を修めていた頃の名残であるといわれる。また、ドイツ語のJurisprudenz、フランス語・英語のjurisprudenceは、ローマ法におけるiuris prudentia(法の賢慮)という表現に由来する。市民法大全の 法学提要によれば、「法学とは、…正しいことと正しくないことを知ることである(iuris prudentia est ... iusti atque iniusti scientia)」とされていた。しかし、イマヌエル・カント以来の法と道徳の峻別の結果、実定法学が分かれ出ることになる。 実定法学と基礎法学 法学の分類として最も一般的なのは、実際の問題への適用を前提として実定法に関する日経225 を行う実定法学(実定法の意味を認識体系化する法解釈学と、立法に関する立法学に分けることができるが、通常は前者である。)と、法に関する基礎的研究を行う基礎法学への分類である。実定法とは、現に存在する法のことであり、その国家制定法や慣習法などが法源となる。基礎法学は、この実定法学を補う学問であると位置づけることができる。法哲学は、実定法の哲学的考察・実定法の一般理論・法学方法論をその領域とし、法史学や比較法学は、歴史的・地理的比較の中に対象となる実定法(日本国では日本法)を位置づけることにより、実定法の認識を豊かなものにする。日本の研究においては、基礎法学(特に比較法学と法史学)による知見を基に一定の解釈を展開するというスタイルが支配的である。 実定法学の対象は、大きく公法と私法に分かれる。これらの対象に応じて、公法学・私法学と呼ぶ。憲法学(国法学)、行政法学、租税法学などは公法学に属し、民法学、商法学などは私法学の個別分野である。しかし、この分類は理論的に意味のあるものであるが、あまり便宜的ではないので、公法学、民事法学、刑事法学、基礎法学のように四分することもある(民事訴訟法と刑事訴訟法は、先の分類ではともに公法学に属するとされるが、ここでは民事法学と刑事法学に分かれる)。ここでは、国際法を公法とは別扱いにし、五つのカテゴリーに分けることとする。 19世紀の立憲君主制の時代においては、外為 が法律を制定する権限のうち、国民の「自由と財産」を制限する法律の制定権限のみを議会に移した事情から、「自由と財産に関する一般的・抽象的な法規範」と限定的に理解された(法規の伝統的理解)。この立場は、ドイツ立憲君主制憲法下における君主と国民(議会)の間の妥協の産物であり、大日本帝国憲法下において主流の立場であった。 国民主権の観念が広く認められる現代においては、「自由と財産に関する」という限定を付さずに、一般的・抽象的な法規範とみなす立場が多く見られる。この立場は、そのようにみなすことで、法律の一般性(不特定多数の個人・事件に対する、平等な法の適用)が担保され、法治主義に適うと考える(法規の現代的理解の一つ)。一般に、日本国憲法下における実質的意味の法律は、一般的・抽象的な法規範を指すとされる。 実質的意味の法律の所管事項を憲法で規定している例もある。フランス第五共和国憲法下では、法律の所管事項が狭く限定されているため、国会の権限が狭く、政府が議会のコントロールを受けずに活動できる余地が大きい。