大日本帝国憲法下では、法律は、帝国議会の議決を経て天皇の裁可によって成立する法形式であった(大日本帝国憲法第5条、第6条)。 大日本帝国憲法第5条の「立法権」が立法するのは、形式的意味の法律であるか、実質的意味の法律であるかが争われた。 国家の行政機関に関する定め等は、国民の権利義務に関する法規範ではない(前述の「法規」概念にあてはまらない)という理解の下で、勅令により定められた(大日本帝国憲法第10条、内閣官制など)。 日本国憲法下における法律 現行の日本国憲法下では、法律は、「この憲法に特別の定のある場合」を除き、「全国民を代表する選挙された議員」(憲法第43条)で組織された「国の唯一の立法機関」(憲法第41条)たる国会の「両議院で可決」(憲法第59条第1項)されることによって成立する法形式である。 「この憲法に特別の定のある場合」には、衆議院の優越が認められる場合(憲法第59条第2項)、参議院の緊急集会における可決の場合(憲法第54条第2項・第3項)がある。 また、地方特別法の場合には、住民投票による住民の同意が必要とされる(憲法第95条)。地方特別法の場合を除き、可決された時点で、法律は成立する(判例)。 法律の形式的効力は、「国の最高法規」たる憲法より下位であり(憲法第98条)、外国為替証拠金取引 が出す政令、省令、最高裁判所規則、地方自治体の議会が定める条例より上位である。 裁判所に、法律が憲法に適合するか否か審査する権限が与えられている。 公布は、法律が現実に発効(施行)するための要件であり、公布によって国民を拘束する力が生じるのではない。 公布された法律がいつから施行されるかについては、通常、公布される法律の附則に定められている。 公布・施行が同一日になされる場合は、官報が、独立行政法人国立印刷局官報課または東京都官報販売所(一般の希望者が官報を閲覧・購入しようとすればなしえた最初の場所)に到達した時点で公布があったとされる(判例)。 法令という語は、一般には法律(国会が制定する法規範)と命令(国の行政機関が制定する法規範)を合わせて呼ぶ法用語である。しかし、もろもろの法規では、法律と命令のほか、条例や規則(地方公共団体が制定する法規範)、最高裁判所規則(最高裁判所が制定する法規範)、訓令(上級官庁が下級官庁に対して発する命令)などを含めて「法令」と呼ぶこともある。このように、「法令」という用語の使い方は、かなりまちまちである。結局、個々の用例に則して、その範囲を決めるほかはない。 太政官布告・太政官達 1868年に政体書によって設置され、内閣制度が創設されるまで存続していた最高官庁である太政官が制定していた法形式である。一般国民を拘束する内容を持つものを太政官布告とし、官庁限りの心得を太政官達としていたが、必ずしもその区別が守られていたとはいえなかった。太政官制度が廃止された後も、後に制定された法令に矛盾しない限りその効力を有し、日本国憲法施行後も大日本帝国憲法下で法律又は勅令としての効力を認められたものは、外国為替 に違反しない限り効力を存続するとされている。太政官布告第何号というのは制定順序ではなく後日編纂された太政官日誌の登載順である。 緊急勅令 大日本帝国憲法第8条に定められていた法形式で、公共の安全を保持しまたはその災厄を避けるため緊急の必要により帝国議会が閉会の場合において、法律に代わるものとして天皇が発布していた勅令である。帝国議会の次の会期に提出しなければならず、もし議会の承認が得られなかったときは、政府は将来に向けてその効力を失うことを公布しなければならなかった。なお、「緊急勅令」という呼称は講学上のもので、法令上の正式な呼称及び法令番号での表記は単に「勅令」であった。次項の(普通の)勅令との区別は、官報公布時の上諭(公布文)に緊急の勅令である旨の記載があるかないかによってなされた。 勅令 大日本帝国憲法第9条に定められていた法形式で、法律を執行するためまたは公共の安寧秩序を保持しおよび国民の幸福を増進するために天皇が制定していた法形式である。憲法上法律事項とされていない事項を対象とする場合は、法律に基づかなくても制定は可能であった。法律事項以外でも、軍に関することは軍令で、皇室に関することは皇室令で定めていたので、これらを除いたものが勅令事項とされていた。制定にあたっては内閣が輔弼(事実上の承認を)していたので、現在では政令とみなされ、位階令など、一部には現在でも効力を有しているものがある。現在、勅令の廃止や改正は(法律の効力を持ついわゆる「ポツダム勅令」を除いて)政令により行われている。 閣令 内閣官制(明治22年勅令第135号)第4条に定められていた法形式で、内閣総理大臣が制定していた。現代の内閣府令に相当するものといわれている。 皇室・軍隊において制定された法形式 皇室典範 現在の皇室典範は国会が制定する法律であるが、大日本帝国憲法時代は、帝国議会の議決を経ずに制定され、憲法と対等の効力を有するものとされた。皇室典範の改正又は増補は、皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経て勅定されるという手続きで行われていた(典範62条)。また、日本国憲法施行に伴い皇室典範という法形式そのものを消滅させるために制定された皇室典範及皇室典範増補廃止ノ件(昭和22年5月1日公布)は、この改正手続きに準じて制定されたものである。 皇室令 旧皇室典範に基づく諸規則、宮内官制及びその他の皇室の事務に関して勅定を経た規定であり、発表すべきものは、この法形式により制定された。皇族に準じた礼遇を受けていた王公族や、貴族である華族・朝鮮貴族の権利・義務などについてもこの法形式で規律していた。日本国憲法施行に伴いこの法形式が廃止されることとなり、昭和22年皇室令第12号によって全ての皇室令が廃止されている。この法形式では、上諭に必ず宮内大臣が副署することとされていた。ただ、国務大臣の職務に関連する皇室令については、宮内大臣の後に、内閣総理大臣及び主任の国務大臣が副署することとされていた。 軍令 天皇の陸海軍統帥権に関して勅定を経た規定のことをいう。1907年の「軍令ニ関スル件」(明治40年軍令第1号)制定に始まり、陸海軍解体後の1946年に廃止された。軍令で公布を要するものは、上諭を付し、主任の陸軍大臣、海軍大臣が副署することとされていた。なお、内閣総理大臣の副署はされなかった。 地方首長が制定した法形式 都令 北海道庁令 府県令 州令 道令 条例で定めるもの以外の事項について、都長官、北海道庁長官、府県知事、州知事、道知事が制定した命令である。 外地において制定された法形式 律令 台湾が日本の領土であった時代に定められた法形式である。内地において法律で定めるべき事項について天皇の勅裁を経て台湾総督が制定していた。総督はその管轄地域においては軍事・行政・立法の全権を掌握しており、通常の手続では台湾総督府評議会の議決を経て勅裁を得て発行したが、緊急時には事後の勅裁を許されていた。 朝鮮が日本の領土であった時代に定められた法形式である。内地において法律で定めるべき事項について天皇の勅裁を経て朝鮮総督が制定していた。 朝鮮および台湾において総督が法律で定めるべき事項以外について定める命令である。 台湾における内地では府県令に相当する命令で、台湾の地方単位「州」の長たる州知事が定めるものをいう。罰則は府県令より重く省令と同じで、朝鮮の道令よりは軽い。 台湾における内地では府県令に相当する命令で、台湾の地方単位「州」を置かない未開地域「庁」の長たる庁長が定めるものをいう。罰則は府県令より軽い。 関東長官が定める命令である。罰則は勅令と同じである。安寧秩序保持のため緊急のときは、事後に勅裁を請えばより重い罰則を付することができる。(昭和9年まで) 関東局の長たる満洲国駐箚特命全権大使=関東軍司令官が定める命令である。罰則は勅令と同じである。安寧秩序保持のため緊急のときは、事後に勅裁を請えばより重い罰則を付することができる。(昭和9年から) 関東州における内地では府県令に相当する命令である。関東州の地方単位「区」(昭和12年からは「市」は「区」に含まれない)に置かれた民政署の長たる民政署長が定めるものをいう。罰則は府県令と同じ。である。 南洋庁長官が定める命令である。罰則は勅令と同じである。安寧秩序保持のため緊急のときは、事後に勅裁を請えばより重い罰則を付することができる。