衆議院・参議院の各院内では、理念や政策を共有する議員が集まって院内会派を作り、議会活動を共に行う。会派の所属議員数によって、委員会の議席数や、発言・質問の時間配分、法案提出権などが左右されるため、政党とは違ったメンバーで構成されることもある。院内の構成単位はあくまでも会派であり、政党ではない。無所属で当選した人が政党会派に参加したり、無所属同士で便宜的に会派を結成することもある。衆参両院とも、慣例により議長と副議長は会派を離脱することになっている。 なお、所属議員が1人だけの会派(俗に一人会派-いちにんかいは、ひとりかいは-という)は制度上認められず無所属(参議院にあっては「各派に属しない議員」)扱いとなる。ただし、当該無所属議員の所属する政党等が政治資金規正法上の政治団体に該当する場合は、国会における各会派に対する立法事務費の交付に関する法律(昭和28年法律第52号)の適用に限り会派と同等とみなされ、一人会派に対しても立法事務費が支給される。 参議院の無所属議員については、同院での慣例にしたがい「各派に属しない議員」と表記する。ただし、この備考では以下「無所属(議員)」にとりまとめて説明。 所属議員数の多い順に記載するが、無所属についてはその多寡にかかわらず末尾とする(欠員がある場合は欠員を末尾としその前)。 人数表記(欠員を含む。)については、数字のみとする(「人」をつけない)。 いわゆる統一会派については、これを構成する政党・政治団体・無党籍議員などの人数の内訳をその多寡順に付記する(ただし、最多数のものは原則として省略し、無党籍者数は多寡にかかわらず末尾とする)。 政党・政治団体など固有の活動実体のあるものについては、その名称を用いて表記する(例:「新党○○3」)。当該政党等の名称が会派名に含まれない又は省略形である場合も、本来の名称を用いる。 無党籍議員については、会派名の無党籍者該当部分の名称に「部分」の文字を付記して表記する(例:「○○の会部分5」)。ただし、無党籍部分に団体としての独立・主体的活動様態がある場合は「部分」はつけない。なお、無党籍者該当部分の名称に相当するものがない場合は、無党籍として付記する(例:「無党籍1」)。 この「部分」という表記は「個別固有の政治的団体」(部分をつけない)か「無党籍議員の集合体の便宜的呼称」(部分をつける)かを分けることで、「独自の団体として正式に存在している(していない)」との誤解を避けるための本記事におけるFX の付記であり、院内外で一般的に「部分」をつけて呼称しているわけではない。 無所属議員についても、人数の内訳を付記する。 内訳の筆頭は議長・副議長とし、これに続けて政党・政治団体所属者、無党籍者の順(それぞれの中では多寡順)で記載する。 政党・政治団体に所属している(いわゆる一人会派などの)議員の場合はその政党等の名称を用い、無所属かつ無党籍の議員の場合は、直近に所属していた政党名があればそれを借用する(例:「元○○系」)、複数政党の統一推薦当選であればそれらを連記する(例:「○○・△△系」)、あるいはその他適切と思われる表現を用いるものとする。分類が困難である、又は分類することが適切でない場合は単に「無所属」などとすることも妨げない。 統一会派の無党籍議員又は無所属議員の内訳の記載に当たり、各議員の個人名を記載することはしない(一覧表において、少数派のみ個人名を掲載するのは公平性の観点で問題なしとしないため)。ただし、政党等の名称中に個人名の全部又は一部が含まれる場合はこの限りでない。 内訳羅列の区切りには全角読点「、」を用いる。中黒「・」は会派の名称中に用いられる例があるため区切りには使用しない。 会派の人数については会派名の後に半角空白を置くが、内訳の人数については原則として空白を置かずそのまま付記する。ただし「○○フォーラム21」のように名称が数字で終わる場合はこの限りでない。 いわゆる「派閥」について、その内訳を記載することはしない(院に直接関係がない、変動が激しい、複数の派閥に横断的に参加する議員もあるなどの理由による)。 会派名は各院に提出され議事録・公式ウェブサイト等で公表される公的な表記であるが、内訳における表示は本記事独自の表記であり、公的な証明力をもつものではない。 大日本帝国憲法下に存在した貴族院は、華族や勅撰議員を中心として政党色を排除する形で形成されていった。そのため、貴族院議員は政党には属さずに貴族院内にあった院内会派に属する事になった。院内会派は当初は爵位などの身分別に形成されるものが多かったが、次第に最大会派の研究会とこれに対抗する複数の中小会派によって構成されるようになっていった。政党政治に否定的な研究会は次第に院外にも発言力を強め、清浦内閣では国民の選挙の洗礼を受けた政党に代わって事実上の単独与党化(政友本党が閣外協力)したたために第2次護憲運動が起きるきっかけとなった。なお、日本国憲法制定による貴族院廃止時には研究会・火曜会・交友倶楽部・同和会・同成会・無所属倶楽部の6会派が存在した。 国会議事堂(こっかいぎじどう)は、国会が開催される建物。現在の建物は1936年(昭和11年)に帝国議会議事堂として建設された。東京都千代田区永田町一丁目にある。 正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院が配置されている。建物は左右対称形をなすが、議事堂内の管理範囲としては中央部の中央玄関、中央広間、御休所、中央塔は参議院の所管、国会前庭は衆議院の所管、国会図書館国会内分館は、国立国会図書館の所管となっている。4F部分にある国会図書館国会内分館は、外為 が使用するトイレの上にトイレを造れないので外国為替 に行く場合は3Fに降りなければならない。 現在の国会議事堂は1936年(昭和11年)に竣工したが、その建設計画は明治にまでさかのぼる。 1881年(明治14年)10月、「国会開設の詔」が発せられ、10年後の国会開設が約束された。その4年後に内閣制度が発足、帝国議会開設は1890年(明治23年)と決定し、議事堂建設の取り組みが始まった。しかし、計画は設計の段階から難航し、財政難を理由に当面は仮議事堂を建設することになった(官庁集中計画参照)。 こうして内幸町(現・霞が関一丁目、現在の経済産業省庁舎付近)に仮議事堂が建設された[1]。第一回仮議事堂は第1回帝国議会召集の前日、1890年(明治23年)11月24日に竣工した。会期中の翌1891年(明治24年)年1月20日未明に漏電から出火、仮議事堂が全焼してしまった。このため華族会館(旧鹿鳴館)、後に帝国ホテルを貴族院にあて、東京女学館(旧工部大学校)を衆議院にあて、急場をしのいだ。その後、昼夜兼行の作業で仮議事堂(第二回)を再建し、同年10月に竣工した(第2回帝国議会は11月21日召集)。 1894年(明治27年)8月には日清戦争が勃発、大本営が広島に移されると、第7帝国議会は、1894年10月18日広島で開会された。広島の仮議事堂も約半月の突貫工事で建設された。東京以外で国会が開会された唯一の事例である。 日露戦争後の1906年(明治39年)には仮議事堂の改修及び本格的な議事堂の建設が決まったが、大正政変により実施は延期された。さらに数年を経た1918年(大正7年)9月になって新議事堂の意匠が一般公募されることになった。翌年2月、応募作品118通中、一次選考・二次選考を通過した4図案の中から、宮内省技手の渡辺福三案(実際には宮内省内匠寮有志による案)が1等に選ばれた[2]。当選案を参考に大蔵省臨時議院建築局が実際の設計を行い、デザインは大幅に変更された。1920年(大正9年)1月30日に原敬内閣総理大臣などが参列して、現在地である永田町の高台において地鎮祭を挙行、新議事堂の建設が始まった。