建設中の1923年(大正12年)には関東大震災に見舞われたが、第二回仮議事堂は無事だった。しかし1925年(大正14年)9月18日、仮議事堂は改修作業中の作業員の火の不始末から火災を起し焼失してしまった。このため政府は第三回仮議事堂設置を決め、新議事堂の建設はさらに遅延することになった。仮議事堂は同年12月開会の通常帝国議会に間に合うよう、昼夜兼行の突貫工事でわずか3ヶ月で建設された。 新議事堂の完成が近づいた1936年(昭和11年)2月26日には二・二六事件が発生、陸軍武装青年将校の一群が永田町一帯を占拠した。29日早朝に武力による鎮圧が決定されると、東京湾御台場沖には海軍の軍艦40隻が集結、永田町に艦砲射撃の照準を合わせて反乱軍を威嚇した。 こうした苦難を経て、新議事堂が広田弘毅内閣総理大臣、冨田幸次郎衆議院議長、近衛文麿貴族院議長など約2800人の来賓を迎えて竣工式を迎えたのは、着工から実に17年を経た1936年(昭和11年)11月7日のことだった。 戦後日本国憲法が制定され、帝国議会にかわる国会が国権の最高機関と位置付けられると、国会議事堂はその権威を象徴する施設となった。また議事堂周辺の国有地が衆議院および参議院の所管に移され、民有地も次々に買収されていったため、現在の国会議事堂の周囲は国会や国政政党関係の施設が立ち並び、日本の政治の中枢となっている。 鉄骨組立中の議事堂 棟上式 昭和2年4月7日国会議事堂は鉄骨鉄筋セミナー 造り。中央塔を除く大部分が地上3階建て、中央塔が4階建てで、塔屋最上部まで含めれば9階建てである。 敷地はほぼ長方形で、前方部は広く庭園や車寄せに取られており、衆議院側・参議院側それぞれの後方部には事務局や委員会室などが入居している別館と分館が設置されている。 外装は3種類の花崗岩を使った石積みで、内装には33種類の大理石、2種類の蛇紋岩をはじめ、沖縄県宮古島産珊瑚石灰岩、橄欖岩、日華石などが使用されており[3][4]、こうした石材は日本全国から取り寄せられた。特に外装に多く使われたのが広島県倉橋島の桜御影と呼ばれる桜色をした御影石で、当地では議事堂に使用されたことから「議院石」という呼び名もつけられている。 このように建材や設備の素材のほとんど全て[5]に純国産品を使用して造られた新議事堂の総工費は、完成当時の金額で約2573万6000円にのぼっている[6]。 正門の正面、中央塔部の真下にある玄関。外観は大きな車寄せと開口部が特徴で、扉は重さ1トンを越える。 通常は議事堂の出入りには使用せず、扉は閉めきられているが、衆議院総選挙後や参議院通常選挙後に初めて国会が召集される日には登院する議員のためにこれが開かれる。その他は天皇や外国の国家元首を議事堂に迎えるときと、特別参観の日[7]に一般参観者を議事堂内へ入れるときに使用された例があるのみである(→ 画像:日本国憲法施行60周年記念特別参観の案内[8])。 中央玄関を入った先、中央塔の真下にある広間は、中央広間と呼ばれている。2階から監視カメラ まで吹き抜けになっており、天井は32.62m。天井はステンドグラスになっており、壁面四隅に日本の春夏秋冬を描いた4枚の油絵の絵画がある。それぞれ、春の吉野山、夏の十和田湖、秋の奥日光、冬の日本アルプスをイメージして描いたものである。いずれも高名な画家によるものではなく、画学生の作品である(→ 画像:中央広間[8]) 広間の四隅には、日本の憲政に貢献した板垣退助、大隈重信、伊藤博文の銅像と、像の立っていない空の台座が置かれている[9]。空の台座が存在する理由については諸説あり、誰の銅像を置くか話がまとまらなかったという説、政治は常に未完であることを象徴しているという説、もっと偉大な政治家になれという戒めの意味で空けてあるという説、皇居にお尻を向けるので避けているという説などがある(→ 画像:中央広間の三銅像[8])。空の台座の上には、議会召集の日には、松の大きな盆栽が置かれる。 中央塔は高さ65.45mで、東寺五重塔がすっぽり入る高さ。1964年まで日本で最も高い建造物だった[10]。 4階部分は、国立国会図書館の国会内分館になっており、国会関係者は自由に利用することができる。ピラミッド型の屋根の中には大広間があり[11]、この大広間の中央からは螺旋階段が尖塔部最上階の展望室につながっている。四畳間ほどのこの展望室からは、かつては東京を一望のもとに見渡せたというが、この展望室も大広間も現在では閉鎖されており、普段は管理人以外は国会議員であっても立ち入ることができない。 2003年9月にはこの中央塔が落雷を受けて、塔頂部の御影石が破損、落下して階下のステンドグラスが割れるという被害があった。この部分は被害後すぐに補修され、現在は旧状に復している。 国会議事堂 御休所御休所(ごきゅうしょ)は、帝国議会の開院式や閉院式といった行事のため、議事堂に行幸した天皇が「御休息」するため造られた。現在は国会の開会式などに議事堂に臨御された天皇が休息する場所として使われている。中央広間から赤絨毯の大階段を上った先にある。天皇の座る椅子のところのテーブルがL字型なのは、戦前に軍服で来た時に帽子を置いた名残りである。天皇はここで衆参両院の議長、副議長の表敬を受けてから、参議院議場での開会式に臨む。総工費の一割を費やしたとされる部屋の造作は、総檜造の本漆塗、外側の上部の飾り部分は徳島県阿南市産の不如帰という石を使用するなど材質や装飾は議事堂の中でも特に匠を凝らした華やかなものとなっている。また、シャンデリアは水晶でてきている。なお、天皇専用のトイレが御休所の斜め前にある。中には洋式と和式のトイレがそれぞれある[12]。天皇は国会に来場する時、皇居より前後を白バイ、パトカー、皇宮護衛官と警察官の乗車したオープンリムジンに警護されて往復する。衛視はこの日に限り、夏は白の礼服、冬は黒の礼服で出迎える。御休所の窓からは、ビルによって視界が遮られる前までは脱毛 が見えたという。 第一国会開会式で式辞を読み上げる松岡駒吉衆議院議長(昭和22年6月23日、参議院議場)一般には「本会議場」と呼ばれる大ホール。各院の2階部分にあり、3階まで吹き抜けとなっている。天井の部分にはステンドグラスがあり、それを通して昼光が通るので本会議中以外は天井の蛍光灯は点灯させていない。議場の構造はいずれも、議長席・演壇をかなめとして扇形に広がり、会派ごとに議席が配分されて座る、いわゆる「大陸型」である。 議長席の側には事務総長席があり、また演壇の下には国会速記者席があって包茎 を手書き(→ 画像:速記の例[8])で速記している[13]。また、議長席を中心に左右に2列の席が伸びており、前列が閣僚の座る国務大臣席、後列が議院事務局職員が座る事務局職員席となってある。 衆議院議場では議長席の上方に、参議院議場では議長席の後方の階段上に、天皇の玉座があり、開会式に際しては、議長席を分解して式場をセッティングする。帝国議会の開院式は天皇を貴族院議場に迎えて行った名残で、現在でも国会の開会式は天皇を旧貴族院を改組した参議院の議場に迎えて行われており、天皇はこの玉座で開会の「お言葉[14]」を述べる。 なお現在参議院の議員定数は242だが、参議院議場には460の席がある。それでも衆参両院の議員総数722には足りないので、開会式では通路や後方の空きスペースに立ったまま列席する議員もいる[15]。 両議場とも、議員は先例によりジャケットと議員バッジの着用がないと入場が許されない。これには一切の例外が認められておらず、かつて福田赳夫総理がバッジをつけ忘れて衆議院議場に入ろうとしたところ、衛視に制止されて、あわてて辺りにいた別の議員(森喜朗)からバッジを借りて入場したこともある[16]。 国会では委員会が行われる部屋を、衆議院は委員室と呼び、参議院は委員会室と呼んでいる。 委員会の会議室のなかでも最大のものが、テレビ中継でお馴染の、予算委員会や重要な特別委員会などが開かれ、ときに証人喚問や参考人招致なども行われる衆議院第一委員室と参議院第一委員会室である。これらはともに本館の中にある。ちなみに、本会議場・委員会室とも設置されているマイクは複数あり、1つは本館場内音声用、1つはNHKの生中継・取材用、1つは「民放」と書かれた民間放送各局共同使用の生中継・取材用などさまざまな用途別に置かれている。 その他の委員会が開かれる委員室・委員会室は、各院の後方にそれぞれ建つ別館と分館の中に入っている。各院の事務局、法制局、講堂などもこの中にある。 別館は公道に面しており、議員とのトラック買取 や議事傍聴の受付窓口が置かれている。 国会議事堂の正面には、正門前の並木道を挟んで南北に分かれる国会前庭が ある。 国会前庭の北地区は旧参謀本部を転用した洋式庭園、南地区は旧霞ヶ関離宮を転用した和式庭園になっている。また北地区の一角には国会の仕組みや憲政の歴史を展示する憲政記念館が建っている。 国会議事堂中央玄関・参議院正玄関・粗大ゴミ の前には、玄関前庭と呼ばれる庭園及び遊歩道がある。1970年には全国47都道府県の木が贈られここに植樹された。また1990年には議会開設100年を記念して衆参両議院正玄関前に噴泉が設けられた。 別館の公道を挟んだ反対側には、南から衆議院第一議員会館、衆議院第二議員会館、参議院議員会館の3棟があり、それぞれが公道の下を抜ける地下通路によって別館、分館、議事堂に繋がっている。 また、国会議事堂敷地から公道を挟んだ南隣に衆議院第二別館と国会記者会館、同じく北隣に国立国会図書館、参議院議員会館の北に参議院第二別館、衆議院第一議員会館の南隣に総理大臣官邸などの国会に関連する施設がある。国会図書館と総理官邸を除いて、議事堂はこれらとの間も地下通路で行き来することができる( → 画像:国会議事堂周辺の俯瞰図[17])。 正門前の衛視三権分立の原則にのっとり、立法府の最高機関が行政府の一下部組織に警察権を委ねるのは好ましくないという考えから、議事堂の敷地内では警察ではなく、各議院が自身の手で自律的に紀律保持を行っている(議院警察権)。このため警察官は議長の要請がない限り院内に立ち入ることなく、院内で警備を行っている者は衛視と呼ばれる、衆議院事務局と参議院事務局の職員である[18]。 議事堂敷地内に日常的に出入りする国会議員を、衛視は議員バッジ(正式名:議員徽章)と議員身分証(正式名:帯用証)着用の有無で識別している。これがない者を衛視は原則として制止するが、それでも衛視は国会議員全員の顔と名前を覚えている。