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冒頭の司法の定義にある具体的な争訟は、事件性(具体的事件性)ともいわれ、裁判所法(昭和22年法律第59号)3条にいう「一切の法律上の争訟」と同じ意味であると解されている。ゆえに、「法律上の争訟」にあたらなければ、司法権の対象とならず、原則として裁判所の審査権は及ばない。 最高裁判所の判例によれば「法律上の争訟」とは、「法令を適用することによつて解決し得べき権利義務に関する当事者間の紛争」をいう(最判昭和29年2月11日民集8巻2号419頁)。すなわち、「法律上の争訟」に当たるためには、次の2つの要件を満たすことが求められる。 当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であること 法律を適用することにより終局的に解決することができるものであること(いわゆる終局性) 紛争は具体的でなければならないので、抽象的な審査はできない。法律関係の存否でなければならないので、事実の存否のみの審査はできない。刑事訴訟は、刑罰権の存否に関する紛争とされるため、「法律上の争訟」にあたる。法律を適用することで終局的に解決できなければならないので、宗教上の争いなどは審査できない。「オンラインゲーム 上の争訟」にあたらない場合は次のように整理できる。 抽象的な法令の解釈または効力を争う場合(例外として客観訴訟) 当事者間の具体的な権利義務・履歴書 関係とは無関係な法律問題の裁定は、司法権の対象とはならない。単なる事実の存否や個人の主観的意見の当否、学問上、技術上の論争も対象とならない。判例でも、自衛隊の前身である警察予備隊の設置等が無効であるとして最高裁判所に直接訴訟が提起された事件において、その趣旨が明らかにされている(最大判昭和27年10月8日民集6巻9号783頁)。 宗教問題が前提問題として争われる場合 宗教の教義に関する争いなどは、法律の適用により終局的に解決できないため、司法による審査の対象とはならない。「板まんだら」事件の最高裁判所判例(最判昭和56年4月7日民集35巻3号443頁)も「具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式」をとっており、「信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまる」ものとされていても、その判断が「必要不可欠」で、訴訟の「核心」とされている場合には、終局性を欠き「法律上の争訟」にあたらないと判示する。 判例:代表役員等地位不存在確認(最高裁判例 平成5年9月7日) 客観訴訟 司法に該当しない国家作用であっても、法律により裁判所に権限を与えることは可能である。裁判所法3条1項が「裁判所は…その他法律において特に定める権限を有する。」としているのも、そのような趣旨と解されている。具体的事件性がなくとも、裁判所に審査権限を与える客観訴訟(客観的訴訟)の制度がこれにあたる。 客観訴訟とは、法の適用の客観的適正を保障して公益を保護するために認められる訴訟をいう。個人の権利利益の保護を目的とする主観訴訟と対比される。客観訴訟には、民衆訴訟(行政事件訴訟法5条)と機関訴訟(同法6条)の2種がある。 民衆訴訟の例としては、住民訴訟(地方自治法242条の2)や選挙訴訟(公職選挙法203条、204条)などがある。 また、非訟事件、特に非争訟的非訟事件についてはその性質は行政であるが、その仕事 は沿革上の理由等により裁判所に権限がある。この非訟事件の審査権限も「特に定める権限」に含むと解される。 このような法律の定めが違憲であるという議論は特にされていない。しかし、無制約に法律で定めることが可能とも言い難く、本来的な司法に該当しない権能を裁判所に付与することがどこまで可能であるかは、制約があり得ると解される。 司法権の限界 「具体的な争訟」にあたる事件であっても、憲法76条1項に規定する裁判所が審査できない事項がある。これを司法権の限界という。司法権の限界には、憲法が明文で定めた限界や国際法上認められた限界、憲法の解釈による限界がある。 憲法の明文に定めた限界による裁判に不服があっても、更に通常の裁判所に訴えることはできないと解されている。 司法行政権(しほうぎょうせいけん)とは、司法権を行使する機関の設営・管理などの行政作用を行う権限である。司法行政権に基づいて行使される行政作用を、司法行政という。 通常、司法権を行使するのは裁判所であるため、裁判所に係る行政作用の行使権限と同じ意味である。その内容としては、裁判官その他の裁判所職員の任免・配置・監督、庁舎の管理、会計経理など、裁判所運営上の人的物的両側面に及ぶ。 日本国憲法下での司法行政権 日本国憲法では、司法の独立を保障するため、ネットキャッシング の多くは裁判所が有する。裁判所が有する司法行政権は、原則として裁判官会議の議により行われる。司法行政の最高監督者は、最高裁判所である(裁判所法80条)。もっとも、司法行政権の行使により、個々の裁判所・裁判官の裁判権行使に影響を与えることはできないとされている。 裁判官会議の議により行われる裁判所運営を補佐するため、最高裁判所には事務総局、下級裁判所には事務局が置かれている。最高裁判所の事務総局や高等裁判所の事務局の要職は裁判官によって占められており、裁判所内の出世コースに乗る裁判官の少なくない者がここで司法行政に携わる経験をもつ機会を与えられる。第11代最高裁判所長官の矢口洪一は任官以来そのキャリアの大半を司法行政部門の役職で積み重ねてきた裁判官で、そのためにミスター司法行政と呼ばれた。 大日本帝国憲法下での司法行政権 大日本帝国憲法下においても司法の独立は尊重すべきものとされたが、大審院及び裁判所は司法行政権を有さず、行政官庁である司法省が有していた。このため、戦前には司法行政権(特に裁判官の人事権など)を利用した「行政府による司法介入」が公然・非公然に行われていたともいわれている。 行政(ぎょうせい)とは、国家作用(国家が行うこと)のうちから、立法作用と司法(裁判)作用を控除した(除いた)ものをいう(控除説、消極説。実質的意義の行政[1])。 また、行政とは、行政府(日本では内閣とその統轄下にある行政機関)が行う作用の全体をいう(形式的意義の行政[2])。 立法権、司法権と並び、統治権の一つとして、行政を行う権能を行政権という。日本政府が進めている法令外国語訳では、行政を指す語として英語で administration をあてているが[3]、同じ英語でも米国では executive, 仏語では executif, 独語で Exekutive, スペイン語で ejecutivo のように管理・管轄というよりも執行・遂行面を重視した語が用いられている。 現代の行政は複雑で多岐な内容にわたっており、これに必要かつ十分な定義を与えるのは、容易でない。そのため、行政の定義については、内容的に定義することを放棄し、消極的に定義するにとどまる控除説(消極説)と、なんとか行政の内容を積極的に定義してその内容を明らかにしようと努める積極説が対立する。なお、控除説、積極説とも、定義するのは実質的意義の行政である。 控除説(消極説) 公法学上は、国家作用のうち、立法作用と司法(裁判)作用を控除した残余の作用を指すとする見解(控除説、消極説)が支配的である。 このような控除説による説明は、内容的な定義づけを放棄しており、意味がないようにも見える。しかし、君主が有していた包括的な国家権能のうちまず立法権が議会に移譲され、その残りである執行権のうち司法権がさらに分化され、君主に残された権能が行政とされたという沿革に対応している。さらに、現実問題としても、行政と観念される作用には様々なものがあり、それらを漏れなく包括する必要もある。したがって、控除説は一般的に支持されている。 積極説 もっとも、このような消極的な定義づけに満足せず、積極的な定義づけをする試みもある。代表的な見解は田中二郎によるものであり、「法の下に法の規制を受けながら、現実に国家目的の積極的実現をめざしておこなわれる全体として統一性をもった継続的な形成的国家活動」とするものである。だが、行政の特徴等を大まかにイメージしたものに過ぎないという批判もあり、必ずしも成功しているとはいえない。